東大和市内を通過する新青梅街道は、かって、青梅成木から江戸へ通ずる初期江戸街道の道筋を活かしてつくられています。そして、東大和市内の狭山で分岐して、一部は現在も江戸時代の道筋を残し、途中変化しながらも、田無まで辿れます。
安政6年(1859)正月、その江戸街道で追い剥ぎ騒動が起こりました。新青梅街道から、かっての江戸街道に分岐して間もなくの場所「清水前」です。
当時の後ヶ谷村の名主・杉本家に残された『安政六年村用日記』にこんな事件が記されています。
「一 当正月十一日 朝 五つ半時(午前9時)、
多摩郡岸村の名主・平兵衛殿、組頭源八組に属する 肴屋六兵衛(三十四才)が
江戸表へ買い出しに行く途中
清水村前の江戸海道にて 追い剥ぎ三人が出て
酒手を貸し申すべしと罵(ののし)ったので
三声呼び声を上げたら 口をふさぎ、その上打擲した上
懐中に持っていた縞の財布(金四両一分一朱入り)を奪い取り、
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