江戸海道(江戸街道)追い剥ぎ事件(安政6年・1859)
2012-05-24


 東大和市内を通過する新青梅街道は、かって、青梅成木から江戸へ通ずる初期江戸街道の道筋を活かしてつくられています。そして、東大和市内の狭山で分岐して、一部は現在も江戸時代の道筋を残し、途中変化しながらも、田無まで辿れます。

 

 安政6(1859)正月、その江戸街道で追い剥ぎ騒動が起こりました。新青梅街道から、かっての江戸街道に分岐して間もなくの場所「清水前」です。

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             画像左端辺りが新青梅街道と江戸海道の分岐点

 

 当時の後ヶ谷村の名主・杉本家に残された『安政六年村用日記』にこんな事件が記されています。

 

一 当正月十一日 朝 五つ半時(午前9時)

 多摩郡岸村名主平兵衛殿組頭源八組に属する 肴屋六兵衛三十四才)が

 江戸表買い出しに行く途中

 清水村前の江戸海道にて 追い剥ぎ三人

 酒手を貸し申すべしと罵(ののし)ったので

 三声呼び声を上げたら 口をふさぎその上打擲した上

 懐中に持っていた縞の財布金四両一分一朱入り)を奪い取り、


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